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喜多川月麿

江戸時代の浮世絵師 ウィキペディアから

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喜多川 月麿(きたがわ つきまる、生没年不詳[1])とは、江戸時代浮世絵師

来歴

喜多川歌麿の門人。姓は小川、名は潤。俗称千助(または六三郎)、は子達(士達)。墨亭、遒斎、のちに観雪と号した。初名を菊麿寛政ごろより使用)、享和2年(1802年)以降に喜久麿文化元年(1804年)からは月麿と名乗ったという。その文化元年に師である歌麿とともに手鎖に処せられた。錦絵より草双紙の挿絵や肉筆美人画に手腕を発揮し、特に十返舎一九とは関係が深かったらしく、一九の戯作でしばしば挿絵を担当している。作品は、月麿落款の頃は師の歌麿の晩年の画風を追うものが多い。文化期以降は葛飾北斎風となり、観雪と号して後は浮世絵の製作からは離れたといわれているが、「観雪」と落款した肉筆美人画が残っており、渓斎英泉風に画風が変化している。ただしその描写や画題には上方四条派などの影響も認められ、上方の地において絵の修行をしていた可能性が指摘されている。

作品

版本挿絵

  • 『讐敲夜居鷹』三巻 ※十返舎一九作、「菊麿」挿絵。享和2年刊行
  • 貧福一代の早替』二巻 ※百亭貫斗作、「喜久麿」挿絵。享和3年刊行
  • 跡着衣装』五巻一冊 ※一九作、「喜久麿」挿絵。文化元年刊行
  • 復讐阿部花街』三巻 ※一九作、「月麿」挿絵。文化2年刊行
  • 『阿部花街/後編 恋仇被形容』二巻 ※一九作、「月麿」挿絵。文化2年刊行
  • 二代順礼/両度讐敵 奉打札所誓』三巻 ※曲亭馬琴作、「月麿」挿絵。文化2年刊行
  • 滑稽しつこなし』三巻 ※一九作、「月麿」挿絵。文化2年刊行
  • 花紅葉二人鮟鱇』三巻 ※内新好作、「月麿」挿絵。文化2年刊行 

肉筆画

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脚注

参考文献

関連項目

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