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嘉禄
日本の元号 ウィキペディアから
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改元
出典
「博物志」の「承二皇天嘉禄一」より。
備考
この改元について、『吾妻鏡』は疱瘡流行に伴う写経記事の翌日(元仁2年5月2日)条に改元の詔書が届いたことが記されていることから、通常は疱瘡によると解されている。
だが、改元直前に藤原定家が安倍泰俊に語ったところによれば、事の発端は「元仁」改元を知った武家(鎌倉幕府)が「不快」の念を伝えてきたことがきっかけであったとされ(『明月記』嘉禄元年4月15日条)、実際に改元されると定家は「改元を行っても政治を改めなければ意味がない」と批判し、更に「嘉禄」が「軽(かろ)く」に通じると不満を示している(同4月20日・21条)[1]。
嘉禄期におきた出来事
- 元年
- 2年
死去
- 元年
西暦との対照表
※は小の月を示す。
脚注
関連項目
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