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嘉禄

日本の元号 ウィキペディアから

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嘉禄かろく旧字体嘉祿は、日本元号の一つ。元仁の後、安貞の前。1225年から1227年までの期間を指す。この時代の天皇後堀河天皇鎌倉幕府将軍は藤原頼経執権北条泰時

改元

出典

博物志」の「承皇天嘉禄」より。

備考

この改元について、『吾妻鏡』は疱瘡流行に伴う写経記事の翌日(元仁2年5月2日)条に改元の詔書が届いたことが記されていることから、通常は疱瘡によると解されている。

だが、改元直前に藤原定家安倍泰俊に語ったところによれば、事の発端は「元仁」改元を知った武家(鎌倉幕府)が「不快」の念を伝えてきたことがきっかけであったとされ(『明月記』嘉禄元年4月15日条)、実際に改元されると定家は「改元を行っても政治を改めなければ意味がない」と批判し、更に「嘉禄」が「軽(かろ)く」に通じると不満を示している(同4月20日・21条)[1]

嘉禄期におきた出来事

元年
2年

死去

元年

西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 嘉禄元年(乙酉), 一月 ...

脚注

関連項目

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