トップQs
タイムライン
チャット
視点
国策落語
ウィキペディアから
Remove ads
国策落語(こくさくらくご)は、戦争遂行という国策にそった落語の演目の総称[1]。満州事変から太平洋戦争終結までに登場し、高座で演じたのみでなく、雑誌や落語本、レコード、ラジオ放送で広められた[1]。2021年現在でおよそ140の演目が確認されている[2]。これらは終戦とともに演じられることはなくなったが、2016年から2代目林家三平が戦争を語り継ぐ目的で演じている[3][2]。愛国落語[4]、新体制落語[4][5]、国粋落語[5]などとも呼ばれた。
![]() | この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2021年11月) |
沿革
要約
視点
1931年に満州事変が起きると国は思想統制を強めていくが、国策落語が作られたのはそのころからと考えられる[誰によって?]。それ以前にも兵隊落語と呼ばれるジャンルはあったが、これらは軍隊を風刺するものであった[6][注釈 1]。
柏木新によれば、記録に残る国策落語の初見は1933年に雑誌『キング』5月号の別冊付録に掲載された柳家金語楼の「御国の為」とされる[8]。1934年に金語楼は陸軍恤兵部から派遣される形で満州軍の慰問をしており、軍部との繋がりが強かったと考えられる。また、同じころに初代桂小春団治が第一次上海事変での戦死を美談とした「爆弾三勇士」をテイチクレコードから出している[9]。
1936年には愛国演芸同盟が発足。発足式では入場料として慰問袋を集め、落語家・講談師ら芸人がカーキ色詰襟服に戦闘帽の出で立ちで高座に上がり、戦争への協力を呼び掛けた[10][注釈 2]。
1937年に日中戦争が本格化すると、近衛文麿内閣は国民精神総動員実施要綱を閣議決定するが、その実施方法には「文芸・音楽・演芸・映画等関係者の協力を求むること」と記されていた。同年10月には民間の運動という形をとって国民精神総動員中央連盟が結成された[11]。1940年には警視庁により「興行取締規則」が改訂され、すべての芸能団体が警視庁の管轄におかれ、芸能者は「技能者之証」の携帯が義務付けられた。さらに同年に東京の寄席演芸は、東京講談組合・東京落語協会・日本芸術協会が一本化され、講談落語協会に統合された[12]。
このように落語界が国家の統制の元に置かれるようになると、演目に対する風当たりも強くなる。1940年には演芸評論家の伊原青々園は以下のように記している[13]。
また、1940年8月1日には吉本爆笑演芸大会の4つの演目について、警視庁の検閲により中止または改編が命ぜられた。こうした情勢をうけて講談落語協会は、落語の演目を時局柄に沿って4段階に分類。「全然口演の資格なきもの」に49種を分類した。同年9月にはこれをさらに検討して、禁演落語52種[注釈 3]を決定して新聞発表した[14]。
禁演落語を発表した翌月、これに取って代わるように新体制落語として4代目柳家小さんの『報国妻賢』と8代目桂文楽の『百姓指南』が『都新聞』に連載され、これ以降に国策落語が量産されるようになる[15]。国策落語は寄席や落語会の他、雑誌や落語集などの読み物、ラジオやレコードの音源でも広がり、1941年の太平洋戦争勃発によりさらに拍車がかかった[16]。柏木は、国策落語は陸軍情報局が娯楽を戦争目的完遂の道具にするために指導したことで生まれたとしている[17]。
1945年に終戦を迎えると、国策落語は姿を消した。演目はこれを演じた名人の全集にも収録されていない。6代目三升家小勝(2代目桂右女助)は戦後に出版した落語集で戦時中に作った落語について「原稿も散逸してしまって覚えていません」と記している[18]。
2016年に映画『サクラ花 桜花最後の特攻』に出演した2代目林家三平は、劇中で祖父の7代目林家正蔵がつくった『出征祝』を演じた。さらに2019年にはBSフジの番組『落語家たちの戦争-禁じられた噺と国策落語の秘密』の中で『出征祝』を通して演じ、戦後初めて国策落語を復活させた[3]。2代目林家三平はNHKのインタビューで「ケチな人がどんどんケチっていって失敗するとか、人間の弱さや愚かさを認めたうえで、人間らしさを描き出すことこそが落語ですが、国策落語はそれをねじ曲げて、国のために無理やり美談にしようとするので笑えない。」と評し、「当時にタイムスリップすることで戦争の恐ろしさを感じてほしい。祖父や父親は本当に命をかけて戦争の時代を生きていた。こういう時代を決して繰り返してはいけない。」と国策落語を演じる意義を語っている[2]。
Remove ads
演目
要約
視点
陸軍情報部長の清水盛明は1939年に著した『戦ひはどうなるのか』の中で「宣伝は強制的ではいけないのであって、楽しみながら、知らず識らずの間に、自然の感興の中に浸って啓発強化されて行くということにならなければいけないのである」と記している。国策落語もこの目的にそったもので、ストレートなプロパガンダではなく、笑いのオブラートに包んで戦争への協力を伝える演目であった[19]。1941年に刊行され、国策落語が収録された『名作落語三人選』には刊行の意義について、「笑いながらさらにその中から、新体制下の国民の覚悟を見出すことができるとすれば、これは誠に一石二鳥とも云うべきであろう。」[20]と記している。こうした国策落語は、柳家金語楼、3代目三遊亭金馬ら新作派の作が多いが、古典派や落語作家らも製作しており、中には古典落語を改作したものもある[21][22]。
以下に雑誌などの文献に残る国策落語の一部を記す。ただし真の作者は別である可能性もあり、実際に演じたのかも分からない。分類は柏木によるもの[23][24]。
Remove ads
メディアによる普及
要約
視点
国策落語が普及していくうえでメディアの果たした役割も大きい。雑誌の中で特に掲載が多いのは大日本雄弁会講談社が発行していた『キング』と『講談倶楽部』である。大日本雄弁会講談社の社長の野間清治は内閣情報部の参与を務めており、戦争遂行に協力する考えが強かったと考えられる[50]。また、柏木は、戦時中にNHKラジオの放送記録から14演目が19回放送されたことが確認できるとしている[2]。
国策落語を掲載した落語集
柏木[50]によると、国策落語を掲載した落語集と演者名は以下の通り。
- 『傑作落語集』(1940)東洋堂。柳家金語楼・3代目三遊亭金馬・7代目林家正蔵。
- 『明朗爆笑新作落語傑作全集』(1941)実話読物社出版部。6代目春風亭柳橋・8代目桂文楽・3代目春風亭柳好。
- 『笑の伝令お好み新落語集』(1941)丸山東光堂。初代柳家権太楼・3代目三遊亭金馬・7代目林家正蔵。
- 柳家金語楼、三遊亭金馬、林家正蔵『名作落語三人選』東洋堂、1941年7月11日。doi:10.11501/3460775。(国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開) 柳家金語楼・3代目三遊亭金馬・7代目林家正蔵の作品を収録。
- 『落語選集』(1942)川津書店。4代目柳家小さん・8代目桂文楽・6代目三笑亭可楽・柳家金語楼・初代柳家権太楼。
- 『花形落語家名作集』(1942)昭和書房。柳家金語楼・6代目春風亭柳橋・3代目三遊亭金馬・昔々亭桃太郎・5代目蝶花亭馬楽・5代目古今亭今輔。
- 正岡容 編『昭和落語名作選集』協栄出版、1942年8月15日。doi:10.11501/1025180。(国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開) 8代目桂文楽・3代目三遊亭金馬・6代目三遊亭柳橋・柳家金語楼・他。
- 松浦泉三郎 編『新作落語名人三人集』室戸書房、1943年2月25日。doi:10.11501/1023833。(国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開) 3代目春風亭柳好・5代目蝶花楼馬楽・6代目三遊亭圓生の作品を収録。
また国策落語のみを集めたものではないが、柳家金語楼の作品集にもいくつか収録されている。
- 柳家金語楼『戦線みやげ』今日の問題社、1938年12月17日。doi:10.11501/1054681。(国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)
- 柳家金語楼『旦那と奥さん』今日の問題社、1938年12月18日。doi:10.11501/1112532。(国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)
- 柳家金語楼『隣組の奥さん : 金語楼の落語』今日の問題社、1941年4月20日。doi:10.11501/1035575。(国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)
国策落語を収録したレコードを出したレーベル
国策落語を収録したレーベルと、収録された演目は以下の通り[51]。
- ビクター:「肉弾紙芝居」
- コロムビア:「噺家の兵隊」「金語楼の水兵」「金語楼の後備兵」「金語楼の兵隊」「金語楼の救世軍」「戦線の金語楼」「金語楼の看護兵」「金語楼の皇国慰問使」「非常時長屋」
- キング:「裏店銀行」「長屋の献金」「軍国膝栗毛」「お産見舞」「支那そば屋」「畳屋の兵隊」
- テイチク:「爆弾三勇士」「金語楼の兵隊」「戦線夢物語」「献金長屋」「軍国風呂屋」「慰問袋」「戦笑報告」「決死の慰問」「代用品時代」「続慰問袋」「産めよ殖やせよ」「金語楼の後備兵」「貯金夫婦」「赤ん坊と兵隊」「金語楼の在郷軍人防空訓練の巻」「出征」「節約問答」「金語楼の隣組」「支那そば屋」「隣組の花見」「非常時長屋」
- タイへ―:「朗らかな兵隊」「支那そば屋」「北支事変」
- ニットー:「満州行進曲」「長屋防護団」「工場の月」
- リーガル:「長屋防護団」「工場の月」「上海みやげ」「千人針」「兵隊ごっこ」「銃後の八さん」「皇軍慰問」「金語楼の皇軍慰問袋」「落語家の兵隊」「金語楼の看護兵」「金語楼の皇軍慰問使」「興亜奉公日」「隣組行進曲」「大陸息子」「長屋の全権」「日本勝った」「戦勝の新年」「トーチカ」「陣中演芸大会」「愛馬進軍歌」「落語家出征」「滅私奉公」「手紙と軍隊」
- 太陽:「満州長屋」
- トンボ:「非常時長屋」
- ツル:「兵隊」
- ヒコーキ:「噺家の兵隊」「噺家の入営」「帝国浴場」
- ヤチヨ:「弾丸自動車」
- ヤヨイ:「満州長屋」
- オリエント:「落語家の兵隊さん」
- 恤兵:「満州おもえば」「緊褌一番」
脚注
参考文献
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads