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国鉄キ1形貨車
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国鉄キ1形貨車(こくてつキ1がたかしゃ)は、かつて鉄道省及び1949年(昭和24年)6月1日以降は日本国有鉄道(国鉄)に在籍した事業用貨車(木製単線用ラッセル式雪かき車)である。
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概要
キ1形は1928年(昭和3年)の車両称号規程改正により、ユキ15形を改番したものである。
日本初の雪かき車として、1911年(明治44年)1月にアメリカ合衆国のラッセル・アンド・スノープラウ社より1両(ユキ15 → キ1)が輸入された、木製の単線用ラッセル式除雪車である。車体と鋤本体は木製であるが、鋤の先端部に鋼板が張られている。形状は、雪をいったん平鋤で跳ね上げ、その上部の楔形の鋤で左右にかき分ける延鋤形である。
予算の都合上必要数すべてを輸入することはできないので、鉄道院では本車を徹底的に調査し、約2年後の1912年(大正元年)11月から1927年(昭和2年)12月24日にかけて、量産車85両(ユキ16, ユキ25 - ユキ59, ユキ80 - ユキ94, ユキ460 - ユキ493 → キ2 - キ86)を札幌工場、苗穂工場、大宮工場、金沢工場で製造した。1944年(昭和19年)には胆振縦貫鉄道からの買収編入車1両(キ28の再買収)があったが、旧番号に復帰せず続番(キ87)が与えられたため、最終番号はキ87である。
木製であるがゆえに消耗も早く、鋼製のキ100形(1928年(昭和3年)製作開始)が登場した後は徐々にその活躍の場を狭め、1958年(昭和33年)度に形式消滅した。
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製造実績
- 1920年度に本州で31両、北海道で19両。その後札幌鉄道局管内36両、仙台、名古屋、神戸鉄道局管内に50両使用されていた。
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譲渡
要約
視点
1936年(昭和11年)より1958年(昭和33年)にかけ、多くの車両が地方鉄道会社に譲渡された。これは鉄道省及び国鉄が戦争中の酷使により疲弊しきった旧型のキ1形を廃車にして、新型のキ100形を増備している最中だったという背景がある。当時国鉄工場以外での雪かき車の製作実績は無く、ようやく戦後に飯野産業がキ100形を製作し始めた所であった。また私鉄において戦前は人力による除雪が基本であった。沿線農家の農閑期にあたり余剰労働力の確保が容易であったし、必要に応じて国鉄から借り入れていた。しかし戦後になるとインフレにより人件費が高騰し、除雪費が問題となっていた。
1936年(昭和11年)7月、1両(キ28)が大夕張炭礦専用鉄道に譲渡され、キ28となった。1940年(昭和15年)2月22日、胆振縦貫鉄道に再譲渡され、キ1となった。1944年(昭和19年)7月1日、戦時買収により鉄道省に復帰、キ87となった。苗穂駅、千歳駅等を常備駅とし、1953年(昭和28年)10月8日に苗穂工場において廃車になった。
1942年(昭和17年)1月15日、1両(キ1)が天塩鉄道(後の天塩炭礦鉄道)に譲渡され、キ1となった。1967年(昭和42年)、路線廃止により廃車。
1942年(昭和17年)11月27日、1両(キ11)が羽幌炭礦鉄道に譲渡され、キ11となった。1966年(昭和41年)、老朽化により廃車。
1951年(昭和26年)9月10日、1両(キ32)が寿都鉄道に譲渡され、キ32となった。1968年(昭和43年)、路線廃止により廃車。
1951年(昭和26年)9月14日、1両(キ37)が山形交通に譲渡され、尾花沢線のユキ1となった。1958年(昭和33年)、老朽化により廃車。
1951年(昭和26年)、1両(キ36)が新潟交通に譲渡され、キ1となった。1968年(昭和43年)、老朽化により廃車。
1951年(昭和26年)、1両(キ19)が羽後交通に譲渡され、横荘線のユキ1となった。1957年(昭和32年)5月27日に横手機関庫の火災により焼損したが、焼け残った部品を再用して復旧。同時に鋼体化された。1971年(昭和46年)7月21日、路線廃止により廃車。
1952年(昭和27年)5月17日、1両(キ12)が三井芦別鉄道に譲渡され、キ1となった。1955年(昭和30年)1月、自社工場で鋼体化されキ100(キ100形)に改番。1964年(昭和39年)、羽幌炭礦鉄道に譲渡された。
1952年(昭和27年)9月26日、1両(キ25)が定山渓鉄道に譲渡され、ユキ2となった。1969年(昭和44年)、路線廃止により廃車。
1952年(昭和27年)、1両(キ4)が弘南鉄道に譲渡され、弘南線のキ4となった。1968年(昭和43年)、老朽化により廃車。
1953年(昭和28年)6月23日、1両(キ9)が北海道拓殖鉄道に譲渡され、キ1(キ1形)となった。1958年(昭和33年)7月、老朽化により廃車。
1953年(昭和28年)9月19日、1両(キ67)が定山渓鉄道に譲渡され、ユキ1となった。1968年(昭和43年)、老朽化により廃車。
1954年(昭和29年)2月25日、1両(キ30)が雄別炭礦鉄道に譲渡され、キ1となった。のち鋼体化され、1970年(昭和45年)、路線廃止により廃車。
1958年(昭和33年)5月19日、1両(キ82)が北海道拓殖鉄道に譲渡され、キ2(キ1形)となった。のち鋼体化され、1964年(昭和39年)、老朽化により廃車。
参考文献
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- 鉄道公報
- 小熊米雄「ラッセル雪カキ車の歴史と保存」『鉄道ピクトリアル』No.447 1985年5月号
- 「国鉄貨車形式図集 I」1992年、鉄道史資料保存会刊 ISBN 4-88540-076-7
- 奥山道紀・赤城英昭「RM LIBRARY 47 三菱鉱業大夕張鉄道」2003年、ネコ・パブリッシング ISBN 4-7770-5002-5
- 若林宣「RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線―オラほの横荘っこ―」2004年、ネコ・パブリッシング ISBN 4-7770-5060-2
- 澤内一晃「私鉄雪掻車ものがたり」『J train』No.31 2008年
- 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
- 岩成政和「ファンから見た排雪列車と除雪用機関車」、『鉄道ピクトリアル』No. 814、2009年2月
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