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園田武彦
日本の実業家、政治家 (1887-1977) ウィキペディアから
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園田 武彦(そのだ たけひこ、1887年(明治20年)1月24日[1] - 1977年(昭和52年)12月4日[1][注 1])は、日本の機械技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員。
経歴
本籍鹿児島県[2]。外交官・園田孝吉、銈子夫妻の二男としてロンドンで生まれる[1][3][4]。1910年(明治43年)イギリス、グラスゴー高等工業学校機械科を卒業[3][4]。
その後、イギリスで造船所、機械工場の職工として働く[4]。飛行機への情熱を掻き立てられ父へ援助を申し出ると、飛行士にはならないこと、飛行機の製作は一機のみとする条件で資金の提供を受けた[4]。飛行機はハンドレページの工場において共同で製作し、1911年(明治44年)はじめに完成した(園田式飛行機)[4][5]。ヘンドン飛行場で三度目の着陸の際、左翼が地面と接触して破損し使用不能となる[4][5]。父との約束どおり飛行機製作を断念して、帰国時に無事であったグリーン50馬力エンジンを持ち帰り、奈良原三次の奈良原式4号鳳号飛行機に搭載された[4][5]。
父の死去に伴い、1923年(大正12年)12月20日、家督を相続し男爵を襲爵した[1][6]。1930年(昭和5年)6月7日、貴族院議員補欠選挙で当選し貴族院男爵議員に就任し[7][2][8]、1939年(昭和14年)7月9日まで在任[2]。1946年(昭和21年)5月11日、貴族院議員補欠選挙で当選し貴族院男爵議員に就任し[9][10]、公正会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
1917年(大正6年)園池製作所取締役社長に就任[2]。その他、模範ベルト工業代表、国際トーキー社長、帝国内燃機社長などを務めた[3]。
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親族
脚注
参考文献
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