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土屋嘉雄
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土屋 嘉雄(つちや・よしお、昭和7年9月20日-)は、日本の実業家。ベイシアグループ総帥。ワークマン、カインズ、ベイシアなどの代表を務めた。長男はカインズ会長の土屋裕雅[1]、甥はワークマン専務の土屋哲雄。
略歴
日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一と同じ埼玉県深谷市に、1932年に生まれる[2]。江戸時代から続く呉服屋「いせや呉服店」の二男として生まれ[3][4]、埼玉県立深谷商業高等学校卒業後、商業の修行のために群馬県高崎市に行く。1951年より同市の服地店「藤五」に勤めたのち、実家の呉服店に服地部を設けたが、独立し、1958年、ベイシア・グループの前身となる『いせや』を妻とともに伊勢崎市で創業[5][6][4]。以降、以下の各株式会社の役員を務めた[7][8]。
- 1958年 いせや(のちのいせやコーポレーション)設立、専務取締役
- 1967年 いせや代表取締役社長
- 1982年 ワークマン代表取締役社長
- 1984年 セーブオン代表取締役社長、ワークマン取締役会長
- 1986年 オートアールズ代表取締役社長
- 1989年 ワークマン代表取締役社長
- 1991年 ワークマン代表取締役会長兼社長
- 1992年 ワークマン代表取締役会長
- 1994年 カインズ・ポップデポ代表取締役社長、カインズ・ビジネスサービス代表取締役社長、いせやデンキ(のちベイシア電器)代表取締役社長、ワークマン代表取締役会長兼社長
- 1996年 ワークマン代表取締役会長、ベイシア代表取締役社長
- 1999年 カインズベストケア代表取締役社長
- 2002年 ワークマン代表取締役会長
- 2007年 ベイシア代表取締役会長
- 2022年 ベイシア名誉会長
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人物像
息子の裕雅は、週刊ダイヤモンド2021年1月9日号のインタビューで「父は若い頃から非常に良い発想をする人だった。ただ他人の言うことを聞かない」と評した。[9]
甥の哲雄は「子供の頃、自分の家に同居していた。魅力的な人だったので遊んでもらおうとして、ついてまわった」と、『ワークマンはなぜ2倍売れたか』(日経BP)で回想している。
関連項目
出典
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