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坂東彦三郎 (4代目)
幕末から明治初期の歌舞伎役者 ウィキペディアから
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四代目 坂東 彦三郎(よだいめ ばんどう ひこさぶろう、1800年(寛政12年) - 1873年(明治6年)11月14日)は幕末から明治初期の歌舞伎役者。屋号は音羽屋。俳名に薪水・楽善。通称:亀旦那/彦旦那(彦だん)[1]。享年74。戒名:長承(彰)院斎誉彦光居士[1]。
市村座の帳元・福地茂兵衛の子。三代目坂東彦三郎の甥で、養子。文化9年(1812年)11月に市村座で市村竹三郎の名で初舞台。翌年11月に市村亀三郎と改名。文化13年(1816年)11月に三代目坂東彦三郎の養子となり、四代目坂東彦三郎を襲名した。
文政の末年には名古屋、大坂を中心に備中、尾道などの芝居小屋を勤め、天保6年(1835年)に江戸に戻る。安政3年(1856年)3月に養子の初代坂東竹三郎に「彦三郎」を譲り、自らは初代坂東亀蔵を名乗る。その後再び上方へ上り上方の各地を巡った。
明治4年(1871)に一世一代として『有職鎌倉山』の佐野兵衛などを演じ引退[2]、明治6年(1873年)死去。
若き日は『菅原伝授手習鑑』の桜丸や『一谷嫩軍記』の源義経などの二枚目を得意としたが[2]、その後実事、所作、武道をよくし老役から敵役までこなした。
養子が五代目坂東彦三郎。
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関連項目
脚注
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