トップQs
タイムライン
チャット
視点

堀川基俊

鎌倉時代の公卿 ウィキペディアから

Remove ads

堀川 基俊(ほりかわ もととし)は、鎌倉時代の公卿。正二位権大納言亀谷大納言と号す。太政大臣堀川基具の二男。母は参議平惟忠女。

概要 凡例堀川基俊, 時代 ...

『徒然草』と基俊

徒然草』第99段と第162段に基俊の名前が登場するが、いずれも基俊本人にまつわる話ではなく、基俊が検非違使別当に補されていた時の出来事が伝聞的に記されている。

鎌倉に下る

正応2年(1289年)10月、久明親王が将軍として鎌倉に下向した時に付き従って鎌倉に東下した[1]。同様の内容が『増鏡』にも見えている[2]。この東下は久明親王の共をしてのことであったと『増鏡』(下)の解説にもある[3]。 また鎌倉に下る直前の様子は『吉続記』にも記述がある[4]

経歴

以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』に基づいて記述する。

系譜

  • 父:堀川基具(1232-1297)
  • 母:平惟忠
  • 妻:不詳
    • 男子:堀川基明
    • 男子:堀川基親

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads