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堀川基子
鎌倉時代から南北朝時代の女性。後宇多天皇の宮人・後宮。准三宮。 ウィキペディアから
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堀川 基子(ほりかわ もとこ(きし)、文永6年(1269年) - 正平10年/文和4年8月26日(1355年10月10日))は、鎌倉時代から南北朝時代の女性。後宇多天皇の宮人で、後二条天皇の生母。准三宮。院号は西華門院。法名は清浄法。父は内大臣堀川具守。太政大臣堀川基具の養女(実は孫に当たる)。
生涯
弘安8年(1285年)に邦治親王(後の後二条天皇)を生む。しかし、太政大臣の孫という生まれながらも処遇には恵まれず、「増鏡」によれば、永仁6年(1298年)の邦治親王立太子後も、正安3年(1301年)の即位後も叙位がなく、基子が従三位に叙せられたのは徳治3年(1308年)8月に後二条天皇が亡くなって出家して後、同じ年(元号は延慶に改元後)の11月27日であった。更に同年1月2日に准三宮・院号宣下がなされて、西華門院と称した。
文和4年(1355年)、87歳で死去。
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