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堀麦水

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堀 麦水(ほり ばくすい、1718年享保3年)[1]1783年11月8日天明3年10月14日[1])は、江戸時代中期の俳人である[2][3]。名は長[1][2][4]、字は子傾[1][2]。通称は初め池田屋平三郎[1][3][5]、後に長左衛門[1][3][5]。初号は可遊もしくは葭由[1][3][5]、別号に樗庵[3][5]、四楽庵等がある[1][5]

経歴・人物

加賀(現在の石川県金沢の蔵宿池田屋の次男として生まれる[1][2][3]。若い頃は上方にいたが、甥の後見のため、元文末頃に金沢に戻った[1]

俳諧は美濃派の百雀斎五々に師事し、のちに伊勢中川乙由(麦浪)の俳風に移り、麦水と号した[1]。延享元年(1744年)頃から全国を行脚している[1]宝暦12年 - 宝暦13年(1762年 - 1763年)頃に京都に上り、与謝蕪村と交流する[1]

明和6年(1770年)頃に『二十五ヶ條註解』を著し[1]宝井其角が編纂した『虚栗』に傾倒した松尾芭蕉の作風の俳諧を詠み[1][3][6]、その復興運動にも携わる[3][7]。この運動の中で、各務支考や乙由の俳風の卑俗性を批判し[1]、『虚栗』の漢詩文調に倣うべきと主張した[1]。しかし、安永4年(1775年)に『新みなし栗』を著した後、俳諧活動から離れた[1]

俳人としての著作だけでなく、実録本『越の白波』『三州奇談』『寛永南島変』も残している[1][8]。また、麦水は将棋や茶道、骨董、書画等の多くの趣味を持っていたとされている[9]

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主な著作物

主著

  • 昔日北花録
  • 『慶安太平記』
  • 『貞享正風句解伝書』
  • 『新虚栗』

その他の著書

  • 『慶長中外伝』
  • 『俳諧蒙求』
  • 『寛永南島変』

脚注

外部リンク

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