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塩月桃甫
日本の画家 (1886-1954) ウィキペディアから
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塩月 桃甫(しおつき とうほ、1886年2月27日 - 1954年1月30日)は、宮崎県出身(出生地:宮崎県児湯郡三財村)の画家である[1]。本名は永野善吉。日本統治時代の台湾に、初めて西洋美術を広め、台湾美術展覧会を開くなど、台湾の美術界に大きく貢献したことで知られる[2]。宮崎師範学校、東京美術学校(図画師範科)卒業。台湾に渡ったのは1921年(35歳の時)であり、以後25年間にわたり台湾で活躍し、台北高等学校でも図画科教師を務めた[3]。1953年、宮崎県文化賞受賞。


主な作品に「蕃人舞踊団」(宮内庁所蔵)「裸婦」「舞妓」(いずれも宮崎県立美術館所蔵)などがある。
脚注
外部リンク
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