トップQs
タイムライン
チャット
視点
塩谷眞康
日本の政治家、教育家 ウィキペディアから
Remove ads
塩谷 眞康(しおのや しんこう、文久3年12月14日〈1864年1月22日〉[1][2][3] - 大正7年〈1918年〉3月24日[4][1][2][3])は、日本の政治家、教育家。衆議院議員(1期)、群馬県会議員(2期)。前名は塩谷 五十足(しおのや いそく)[3][5]。
生涯
上野国吾妻郡小泉村(太田村を経て現・群馬県吾妻郡東吾妻町)出身[1][2][3]。父は塩谷真雄[2][5]。群馬師範学校(現・群馬大学教育学部)卒業後[1][2][3][5]、郷里で教員となる[2][5]。その後上京し1887年(明治20年)に慶應義塾を卒業[1][3]。自宅の近くに春山館という私塾を開いて多くの若者を育成し、図書を多く収蔵して図書館の先駆となった[1][2][3][5]。
1890年(明治23年)、群馬県会議員に当選[1][3][5]。1894年(明治27年)に再選され常置委員となる[1][3][5]。日清戦争が勃発すると従軍したが、外地渡航の手続に誤りがあったため議員資格を失った[2][5]。
1898年(明治31年)、第6回衆議院総選挙に立候補し当選[1][2][3][5]。吾妻郡で最初の国会議員であり[3][5]、1期務めた。1902年(明治35年)の第7回総選挙では次点で落選した[3][5]。
1908年(明治41年)からは学務委員を務めた[1]。郷里で植林事業も手がけ[1][2][3][5]、碓氷社支部で養蚕の経営にも取り組んだ[2][5]。
Remove ads
脚注
参考文献
関連文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads
