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多賀宮

三重県伊勢市豊川町にある神社 ウィキペディアから

多賀宮map
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多賀宮(たかのみや)は三重県伊勢市豊川町にある外宮(豊受大神宮)の境内別宮である[1][2]。 第62回神宮式年遷宮2013年)では、別宮の中では荒祭宮に次いで10月13日遷御が行われた[3]

概要 多賀宮, 所在地 ...

概要

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拝殿
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多賀宮への石段
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式年遷宮により建てられた新社殿と旧社殿

多賀宮(たかのみや)は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)にある[4]。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。

外宮の別宮は多賀宮のほか、境内に土宮(つちのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)があるが(合計四所)[5]、多賀宮がもっとも古く、外宮の4別宮のうち、『止由気宮儀式帳』(804年)と『延喜式神名帳』に記載されているのは多賀宮のみである[6]。祭神が外宮の祭神の豊受大御神荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、4別宮の中で最高位とされる[1][2]

正宮前の池の横の亀石を過ぎ[7]、土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に多賀宮がある[8]。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。多賀宮の前の参道には、寝地蔵さんと呼ばれる、地蔵菩薩のように見える石がある[9][10]

足腰が悪く丘の上に登れない者のために、麓の池のほとりに多賀宮遥拝所が設けられている。

内宮の荒祭宮、外宮の多賀宮とも、神宮第一の別宮(荒魂)には双方とも鳥居がない[10]。詳しい理由は不明[10]

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祭神

  • 豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)[11][12]
『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』では豊受大神荒魂の別名として、黄泉から戻ってきた伊弉諾尊で誕生した伊吹戸主(祓戸大神)[13][14]、または伊吹戸主神の別名として神直毘神とする(禊祓と三貴子の誕生[15][13][16]

歴史

由緒は定かではないが、雄略天皇22年(478年)の外宮創祀と同時に創建されたと伝えられている[1][17]。 神宮ではおおむね高宮(たかのみや)と呼称されていたが[1][17]、明治以降は『延喜大神宮式』を基準としたため『高宮』の表記は廃止され、多賀宮のみの標記となった[2]。縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったともいう。従って多賀大社(こちらは「たが」と濁って読む)やその祭神である伊邪那岐命伊邪那美命とは関係がない。ただし豊受大神荒魂(多賀宮祭神)は伊弉諾命が禊祓した際に誕生した伊吹戸主の別名ともされる[15]

多賀宮専用の忌火屋殿があったが、明治に廃止された[2]第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月29日宇治山田空襲により御階が燃えたものの、警備隊が体をこすりつけて消火し、社殿は無事であった[18]

祭事

外宮正宮に準じた祭事が行なわれ、祈年祭月次祭神嘗祭新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)がある[1]。皇室の勅使は正宮に続き、外宮の別宮のうち多賀宮のみに参行する。この待遇は、内宮の荒祭宮と同様である[19]

社殿

多賀宮の社殿[20]は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。遷宮のための古殿地(新御敷地)は東西に隣接している。

交通

脚注

参考資料

関連項目

外部リンク

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