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大久保房男
日本の小説家 (1921-2014) ウィキペディアから
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経歴
三重県北牟婁郡紀伊長島町(現紀北町)生まれ。旧制津中学校を経て、慶應義塾大学国文科で折口信夫に師事する[1]。学徒出陣で1943年に出征、海軍予備学生(第4期)を経て、1944年暮れに海軍少尉となる。敗戦により復員し、1945年10月に復学、1946年9月に卒業する[1]。同年11月、講談社に入社する[1]。1955年から1966年まで『群像』の編集長を務めた[1][2]。石原慎太郎や有吉佐和子の作品を一切掲載しない[注釈 1]一方で、吉行淳之介や安岡章太郎など「第三の新人」と呼ばれた作家たちを陰で支えた[2]。その仕事ぶりは「文学の鬼」「純文学の鬼」などと称された[2]。1959年から1961年まで、『週刊現代』編集長も兼務した[2]。退職後の1992年、小説『海のまつりごと』で芸術選奨新人賞を受賞[2]、70歳の新人賞で人々を驚かせた。
2014年7月25日午前11時10分、十二指腸乳頭部癌のため東京都練馬区の自宅で死去[2][5]。92歳没。
大阪大学名誉教授の大久保昌一は弟、国立遺伝学研究所教授の大久保公策は甥にあたる。
霊術家の浜口熊嶽は父の従兄にあたる[6]。自らと同じく国文学学生から海軍に入った阿川弘之とは編集者時代から長年にわたって親交があり、たびたび随筆などでその言動が「鬼のおくび」というニックネームのもとで記されている。
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著書
脚注
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