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大和宣旨
平安時代中期の女流歌人。勅撰集『後拾遺和歌集』に3首入集。太后宮藤原妍子女房・宣旨(女房長)。藤原道雅の妻(子に観尊(1015-))、のち藤原義忠の妻 ウィキペディアから
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大和 宣旨(やまと の せんじ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。中納言平惟仲の娘。母は藤原忠信女。配偶者は藤原道雅、のち、藤原義忠。藤原妍子に仕えた中宮宣旨(筆頭女房)。後拾遺集に3首選ばれている。
経歴
最初の夫である藤原道雅が寛弘2年(1005年)正月に元服し、3月には父・平惟仲が大宰府で死去していることから、同年初頭に婚姻が成立した可能性が高い。しかし、後に道雅と離縁して藤原妍子の下に出仕した。時期的には寛弘8年(1011年)8月以前(妍子が女御宣旨を受ける以前)と推測される[1]。
作品
後拾遺集
- 涙川流るゝみをとしらねばや袖ばかりをば人のとふらむ(550)
- はるばると野中にみゆる忘れ水たえまたえまをなげく頃かな(735)
- 戀しさを忍びもあへず空蝉のうつし心もなくなりにけり(809)
出典
外部リンク
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