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大山正樹

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大山 正樹[1][2](おおやま まさき、1869年5月23日明治2年4月12日[3] - 没年不明)は、日本醸造家[4]、「大和花」醸造元[5]、広島県酒造組合賀茂郡支部長[6]、広島県多額納税[5][7][8]政治家(広島県賀茂郡西志和村長)[6][9][10]名望家[11]

経歴

広島県賀茂郡西志和村(現東広島市)に生まれた[3]。大山源之助の長男[5]1897年家督を相続した[5]。酒造業を営んだ[2][5]

1909年、村会議員に当選[3]1921年8月より1933年5月まで3期にわたり西志和村長在職[6]。村長退職に際し村より影徳碑を建設された[6]

人物

貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[12]

家族・親族

大山家

大山家は醤油醸造業を営んでいたが、正樹の父・源之助は明治初年に酒造業にあらため「大和花」と命名し斯業を経営した[3]

  • 父・源之助(酒造家)[3][5]
  • 姉・ツナ1862年 - ?、広島、秋廣現太の妻)[5]
    • エイ1871年 - ?、広島、太田芳太郎の妻)[5]
    • タネ1875年 - ?、広島、織田熊二郎の二男虎之助の妻)[5]
  • 妻・トネ(1875年 - ?、広島、木坂義定の妹)[5]
  • 養子
    • キエ1879年 - ?、広島、秋廣輝五郎の姉、小松権六の妻)[5]
    • 良枝1907年 - ?、広島、秋廣現太の三女)[5]

脚注

参考文献

関連項目

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