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大崎義兼

戦国時代の大名 ウィキペディアから

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大崎 義兼(おおさき よしかね)は、戦国時代大名室町幕府奥州探題官位従五位上左京大夫大崎氏9代当主。

概要 凡例大崎 義兼, 時代 ...

略歴

大崎教兼の嫡男で8代当主・大崎政兼(まさかね、「政」字は8代将軍足利義政より偏諱を受けたもの)の子として誕生。幼名は彦三郎。

元服時に、9代将軍・足利義尚(義政の子)から偏諱(「義」の字)を受け、太刀を与えられた。長享2年(1488年)、大崎領内で反乱が起こると、一時的に伊達尚宗を頼って落ち延び、その援軍を受けて反乱を鎮圧するなど、当主としての力量に乏しい人物だった。

享禄2年(1529年)に死去。長男・高兼が家督を継いだ。

3男・直堅は、大崎満持の子・高清水持家から別れた高清水氏に婿入りしている(高清水定家大崎教兼の子)の娘と結婚したか)[1][2]

脚注

参考文献

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