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伊達尚宗

室町時代後期から戦国時代の武士 ウィキペディアから

伊達尚宗
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伊達 尚宗(だて ひさむね)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武士官位従五位下大膳大夫伊達氏13代当主。伊達政宗の高祖父。

概要 凡例伊達尚宗, 時代 ...

生涯

12代当主・伊達成宗の嫡男。家の慣例により、室町幕府9代将軍足利義尚より偏諱の授与を受けて尚宗と名乗る。

父から家督を相続した年代は詳しく分かっていない。これは、父の成宗が死没した年が詳しく分かっていないからである(伊達氏の史書では、長享元年(1487年)説が有力なので、その前後に継承したと思われる)。

越後守護上杉氏から正室(伊達氏の記録では上杉定実の娘とされるが、上杉氏の記録では上杉房定、異説ではその弟である上杉房実の娘(定実の姉妹))を迎える[1]

延徳2年(1490年)、米沢城北方に位置する塩野毘沙門堂を再建している。

明応3年(1494年)4月、伊達氏の領内で騒乱が発生したため、一時的に会津の蘆名盛高の下に避難した。復帰後は京都の放浪将軍・足利義澄を領内に迎え、これを擁護することで伊達氏の勢力を盛り上げようとしたが、失敗した。

永正11年(1514年)5月5日、62歳で死去。嫡男・伊達高宗(3年後「稙宗」に改名)が跡を継いだ。

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系譜

脚注

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