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大月伸
日本の弁護士 (1896-1980) ウィキペディアから
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大月 伸(おおつき しん、1896年(明治29年)12月18日[1][2] - 1980年(昭和55年)4月13日[1])は、日本の弁護士、大阪弁護士会会長、第15代日本弁護士連合会会長[3]、関西大学理事・顧問を務めた。岡山県高梁市出身[4]。
経歴
生い立ち
1896年(明治26年)岡山県上房郡上竹荘村(現:高梁市)で生れる[4]。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、関西大学へ進学する[4]。1917年(大正6年)7月に関西大学専門部法律学科を卒業し、翌年、1918年(大正7年)4月に日本大学法学高等研究科(現:日本大学法科大学院)を専攻する[4]。1919年、同校を卒業し、1920年(大正9年)12月11日、大月は弁護士試験に合格する[4]。
弁護士として
1921年(大正10年)1月、大月は大阪で弁護士業開業し[4]、その後、1936年(昭和11年) 大阪弁護士会副会長、 第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)日本弁護士連合会監事、理事となり、1954年(昭和29年) 大阪弁護士会会長になった[3][5]。同年、日本弁護士連合会副会長となり、その後、常務理事を務め、1964年(昭和39年)、大月は第15代・日本弁護士連合会会長に就任する[1]。
1947年には、母校の関西大学法人評議員に選ばれ、のち1958年、大学理事となり[6]、名神高速道路学内通過問題などの解決に尽力した。その後も評議員として母校・関西大学の発展に寄与し、1967年(昭和42年)には同大学の顧問となる。また、1956年(昭和31年)から同校の校友会会長を5年間務めている[1]。
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脚注
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