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大東急の鉄道車両一覧
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大東急の鉄道車両一覧(だいとうきゅうのてつどうしゃりょういちらん)は、1942年(昭和17年)5月1日、いわゆる大東急が成立してから1948年(昭和23年)6月1日に再編成されるまでの6年間に東京急行電鉄が保有した鉄道車両(軌道車両を含む)の一覧である。
大東急は1942年(昭和17年)5月1日、東京横浜電鉄が陸上交通事業調整法の趣旨に則り、小田急電鉄、および京浜電気鉄道を合併、東京急行電鉄と改称し成立した。その後、東京急行電鉄は1944年(昭和19年)5月31日には京王電気軌道を合併し、陸上交通事業調整法で定められた中央本線以南のブロックにおける鉄軌道事業の統合を果たした。
その後、大東急解体の機運が高まり1948年(昭和23年)6月1日、小田急電鉄、京浜急行電鉄、および京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が設立され、同時にこれら3社に東京急行電鉄から鉄軌道事業が譲渡された。これにより大東急から合併前の各社が分離独立した格好となり大東急は解体された。この際、ほとんど合併前の路線が3社に譲渡され東京急行電鉄には元東京横浜電鉄の路線が残ったが、京王帝都電鉄は元京王電気軌道の路線だけでは独立採算が危ぶまれたため、合併前には小田急電鉄の路線であった井ノ頭線が京王帝都電鉄に付け替えられた。
大東急の合併と解体によって車両番号の変更が行われている。合併時には合併によって車両番号の重複が生まれたため1942年(昭和17年)10月15日付の届出で車両番号の変更が行われた。京王電気軌道合併後にも同様に車両番号の変更が行われたがどのように届出が行われたのか不明である。合併時の車両番号変更は旧東京横浜電鉄玉川線の車両は0番台、旧小田急電鉄の車両は1000番台、旧京王電気軌道の車両は2000番台、旧東京横浜電鉄の車両は3000番台、および旧京浜電気鉄道の車両は5000番台となるように変更された。旧京王電気軌道の車両は従来の番号に2000を加えただけの番号である。
解体後は京浜急行電鉄で5000を減じた番号に変更された。また、小田急電鉄でも井ノ頭線に使用されていた車両の番号を埋めるように一部車両の番号が変更された。
- 形式称号が存在しない車両はカッコ内に記号番号の範囲を示した。
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参考文献
- 『東急電車形式集. 2』レイルロード、豊中、1996年、pp. 144-145頁。ISBN 4-938343-92-4。
- 大幡, 哲海『小田急電鉄の車両』JTB、東京、2002年。ISBN 4-533-04469-7。
- 荻原, 二郎「大東急時代の車両たち」『鉄道ピクトリアル』第35巻第1号、鉄道図書刊行会、東京、1985年1月、pp. 113-123、ISSN 0040-4047。
- 小野田, 滋「池上電気鉄道・目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄の車両たち」『鉄道ピクトリアル』第44巻第12号、鉄道図書刊行会、東京、1994年12月、pp. 214-223、ISSN 0040-4047。
- 佐藤, 良介『京急クロスシート車の系譜』JTB、東京、2003年。ISBN 4-533-04909-5。
- 澤内, 一晃「小田急の貨車と貨物輸送」『鉄道ピクトリアル』第60巻第1号、鉄道図書刊行会、東京、2010年1月、pp. 140-147、ISSN 0040-4047。
- 藤田, 吾郎「京王の貨車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』第53巻第7号、鉄道図書刊行会、東京、2003年7月、pp. 187-194、ISSN 0040-4047。
- 東京急行電鉄発 内務大臣・鉄道大臣宛、1942年(昭和17年)10月15日付 企電牛第153号『客貨車形式称号、記号番号変更届』東京都公文書館所蔵、簿冊分類番号 324-B6-8。
- 京浜急行電鉄発 東京鉄道局長宛、1948年(昭和23年)12月22日付 京急発子第392号『車輌番号変更届』国立公文書館所蔵、請求番号 本館-3B-014-00・平12運輸02112100。
- 小田急電鉄発 東京陸運局長宛、1951年(昭和26年)1月5日付 小26第1号『車号変更届』国立公文書館所蔵、請求番号 本館-3B-013-00・平12運輸00130100。
- 小田急電鉄発 東京急行電鉄宛、1951年(昭和26年)2月20日付 小26第89号『当社所属車両証明願』国立公文書館所蔵、請求番号 本館-3B-013-00・平12運輸00130100。
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