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大石信幸
日本のサッカー選手 (1939年生) ウィキペディアから
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大石 信幸(おおいし のぶゆき、1939年9月12日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
来歴
広島市立千田小学校の一学年下の宮本輝紀、岡光龍三らと山陽高等学校に進学し1957年、主将として国体準優勝。八幡製鉄サッカー部でも1963年、1964年度全日本実業団サッカー選手権大会2連覇、1964年度の天皇杯優勝に貢献。1965年創設された日本サッカーリーグ(JSL)一年目は桑田隆幸(東洋工業)と並んで11得点を挙げ、得点王・野村六彦(日立)に次ぐ得点2位と、初年度の得点王争いは全員広島出身者だった[1]。
所属クラブ
個人成績
代表歴
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1964年3月3日 対シンガポール(民連隊)戦(シンガポール)
- 日本代表初出場:1964年2月19日 対タイ・バンク戦(バンコク)
試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点(1964)
出場
出典
参考文献
外部リンク
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