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大黒寺 (京都市伏見区)
京都府京都市伏見区にある寺院 ウィキペディアから
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大黒寺(だいこくじ)は、京都府京都市伏見区鷹匠町にある、真言宗東寺派の寺院である。通称は薩摩寺(さつまでら)[1]。
歴史
開創は空海[2]とも真如[3]とも伝えられる真言宗の寺で、もとは長福寺と称した。
元和元年(1615年)、薩摩藩主島津義弘が、薩摩藩邸からも近いこの寺を藩の祈祷所とすべく、伏見奉行山口駿河守に懇願したことで、寺名は薩摩の守り本尊「出世大黒天」にちなみ「大黒寺」とされ、本尊は大黒天となった。ただ、当時より一般には「薩摩寺」の通り名で呼ばれていたという。爾来、薩摩藩ゆかりの寺となる。
幕末期には志士達の密儀がたびたび寺内で行われていたという[2]。寺田屋事件の九烈士もこの地に葬られており、遺品や書・歌などが今でも寺内に保管されているほか、西郷隆盛、大久保利通らの会談の部屋もそのまま残されている[3]。また、近代になり平田靱負の墓所が移設されている。1752年から1755年に薩摩藩が担当した木曽川・長良川・揖斐川の治水工事では工事途中で流されたこと影響などもあり300万両もの巨額な費用がかかった。その責任をとって薩摩藩家老の平田靱負は自刃した[3]。
屋根瓦には、藩主島津家の家紋である丸に十字があしらわれている。
幽霊子育飴伝説がある。幽霊とは八代美津女(やしろ・みつめ)(田尻稲次郎の兄嫁)のことであり、大黒寺ではその位牌を祀っている[4]。
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境内
伽藍ほか
- 本尊:秘仏の大黒天は、金張の厨子の中の小さな御仏で甲子の年に開帳(弘法大師空海の作と伝えられる)[5]。
- 脇:不動明王、毘沙門天
- 脇段:観世音菩薩
- 金運清水:霊験あらたかな水
- 西郷隆盛、大久保利通の会談の部屋、ゆかりの書や歌、肖像なども保存。
- 屋根瓦:ご本尊の大黒天を模した像と、丸に十字が入った紋。
- 本尊
- 門の屋根瓦と大黒像
- 金運清水
- 丸に十字紋の屋根瓦
墓所、札所
- 薩摩藩家老平田靱負(ゆきえ):木曽川治水工事の責任をとり、詰め腹を切った。
- 薩摩9烈士[6]:文久2年(1862年)、寺田屋事件で犠牲となった薩摩藩勤王党有馬新七等九士の墓。墓石の横にある碑文は、西郷隆盛筆。
- 天明の伏見義民の遺髪塔(文殊九助ら7名)[7]
- 京都六大黒天霊場第6番札所
- 伏見五福めぐり、伏見七福神
- 平田靱負翁之墓
- 伏見寺田屋殉難九烈士之墓
交通アクセス
周辺
- 金札宮
- 京都市伏見区役所
- 京都市伏見中央図書館
脚注
外部リンク
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