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女がしっぽをなくしたころ
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『女がしっぽをなくしたころ』(おんながしっぽをなくしたころ、イタリア語: Quando le donne persero la coda)は、1972年(昭和47年)製作・公開、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督のイタリア・西ドイツ合作映画である[1][2]。同監督による『女にしっぽがあったころ』の続篇として製作されたイタリア式コメディの1作である[1]。
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略歴・概要
本作は、1971年(昭和46年)、イタリアの映画プロデューサーシルヴィオ・クレメンテッリが経営する製作会社クレシ・チネマトグラフィカと、西ドイツ(現在のドイツ)の映画会社テラ・フィルムが共同で製作を開始、ローマの撮影所であるチネチッタ内のステージにセットを設営、同年11月1日にクランクイン、同年12月23日にクランクアップ、セット撮影のみでポストプロダクションに入り、翌年初頭に完成させた作品である[1]。前作『女にしっぽがあったころ』の原案にクレジットされた小説家のウンベルト・エーコ[3]に代わり、前作で集団脚本執筆に参加したリナ・ウェルトミューラーが原案を執筆、オッタヴィオ・イェンマ、マルチェッロ・コシャ、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレの3人が脚本を執筆した[1]。
イタリアでは同年2月24日に公開され、西ドイツでは同年12月25日、アメリカ合衆国ではフィルム・ヴェンチャーズ・インターナショナルが配給し、同年に公開されている[1]。イタリアでは、Koch Media が2006年(平成18年)2月1日にDVDを発売した[4]。
日本では、2011年(平成23年)2月現在に至るまで劇場公開、テレビ放映、DVD等のビデオグラム販売等は行われていない[5]。
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スタッフ・作品データ
- プロデューサー : シルヴィオ・クレメンテッリ
- 監督 : パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- 原案 : リナ・ウェルトミューラー
- 脚本 : オッタヴィオ・イェンマ、マルチェッロ・コシャ (Marcello Coscia [6])、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- 撮影 : シルヴァーノ・イッポリーティ (Silvano Ippoliti)
- 美術監督 : マッシモ・タヴァッツィ (Massimo Tavazzi [7])
- 装置・衣裳 : エンリコ・ヨブ (Enrico Job)
- 編集 : ニーノ・バラーリ (Nino Baragli)、ガートルード・ペーターマン (Gertrud Petermann [8])
- 音楽 : エンニオ・モリコーネ
- 音楽監督 : ブルーノ・ニコライ (Bruno Nicolai)
- 製作 :
クレシ・チネマトグラフィカ、
テラ・フィルム (Terra Film)
- フォーマット : カラー映画(イーストマンカラー) - スコープ・サイズ(アナモルフィック、1.85:1)[4] - モノラル録音
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キャスト
- クレジット順
- センタ・バーガー - フィリ
- フランク・ヴォルフ (Frank Wolff) - グッル
- ランド・ブッツァンカ (Lando Buzzanca) - ハム
- アルファベット順
- マリオ・アドルフ - 商人パプ
- フィアンメッタ・バラッラ (Fiammetta Baralla) - カトルチャ
- レンツォ・モンタニャーニ (Renzo Montagnani) - マルーク
- フランチェスコ・ムーレ (Francesco Mulé) - ウトー
- アルド・プリージ (Aldo Puglisi) - ツォーグ
- リーノ・トッフォロ (Lino Toffolo) - プット
シリーズ
- 公式製作
- 『女にしっぽがあったころ』 Quando le donne avevano la coda : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、主演センタ・バーガー、1970年
- 『女がしっぽをなくしたころ』 Quando le donne persero la coda - 本作、1972年
註
参考文献
関連事項
外部リンク
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