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姉小路信綱

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姉小路 信綱(あねこうじ のぶつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士公家

概要 凡例姉小路 信綱, 時代 ...

略歴

姉小路頼綱(自綱)の長男として誕生。

信綱の「信」の字は、織田信長からの偏諱を受けたものだとされる。

天正4年(1576年)、公家の式掌元服式が執り行われた。頼綱は信綱の任官を京に働きかけている。

天正7年(1579年)、父が居城を桜洞城から松倉城へ移した後に、桜洞城主となった。

天正11年(1583年)、叔父である三木顕綱[1]と共に、謀反の疑いをかけられ誅殺された[2]

人物・逸話

  • 姉小路家を頼綱から継ぎ、宣綱の名に改めたと考えられており、旧古川氏の勢力圏に配されていた。
  • 18歳で亡くなっているという記載がある。

脚注

関連項目

外部リンク

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