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宇佐美典也
日本のアナリスト (1981-) ウィキペディアから
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宇佐美 典也(うさみ のりや、1981年10月15日 - )は、日本の制度アナリスト、作家、タレント。
この他“コンサルタント” “浪人” “元経産省官僚” “さすらいの元官僚フリーランス”[2][3][4]など複数の肩書を使用する。
経歴
父は、大洗パークホテル専務取締役、国際連合世界食糧計画特別顧問、一橋大学・青山学院大学客員教授等を歴任した多摩大学名誉教授の宇佐美洋[5]。
港区立青南小学校、暁星中学校・高等学校を経て、東京大学経済学部を卒業。2005年に経済産業省入省。企業立地促進政策、農商工連携政策、技術関連法制の見直しを担当したのち、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)にて電機・IT分野の国家プロジェクト立案およびマネジメントを担当。
東日本大震災を契機に「思うところあって」、2012年9月に経済産業省を退職。在職中より「三十路の官僚ブログ」(退職後は「うさみのりやのブログ」)を執筆しており、2012年12月には同ブログでBLOGOS AWARD新人賞を受賞[6][7]。
その後、元官僚の経験を活かし、『30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと』、『肩書き捨てたら地獄だった』を出版。コメンテーターとしてメディア出演も行う[8]。
2013年から岡山県立大学客員准教授(地域共同研究・産業政策)[9][10][11]。
2022年6月に開始された、AV出演被害防止・救済法の執行停止および改正を呼び掛ける署名運動「AV新法執行停止の署名活動に御協力ください!」の発起人である[12]。
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人物
港区保育園での娘のいじめ問題
要約
視点
当時5歳の次女が港区の保育園でいじめ被害に遭いPTSDになったと主張しており[15]、港区に対して安全配慮義務違反での損賠賠償請求を予定している[16]。以下、次女はA、加害者とされる同い年の女児はBと表記する。
Aは2歳の時、2022年5月から港区の保育園に通い始めた[15]。宇佐美の主張では、4歳となった2024年4月頃からBのいじめでAの様子がおかしくなり、同年6月に宇佐美が保育園へ抗議に行った日からAは登園できないようになった[15]。7月にAは保育園から幼稚園に転園したが、12月にBも同じ幼稚園に転園した[17]。宇佐美の主張によれば、宇佐美はAとBを接触させないよう再三頼んだが園の人手不足のため効果がなく、Aが夜泣きやおねしょをするようになった[17]。 Aは2025年2月17日から7月1日まで宇佐美の判断により登園をやめたが[18]、宇佐美の主張によれば、むしろAの症状は悪化し、「耳が聞こえない、モノが二重に見える」と訴えるようになったという[17]。宇佐美の主張によれば、Aの病状を受けて宇佐美の妻も1日に2,3回ほど嘔吐するようになり鬱病と診断され、またA自身もPTSDと診断され睡眠導入剤で眠るようになった[16]。5月、港区は宇佐美の主張を受けて「いじめ重大事態」として本件の調査を始めた。幼稚園と協議を重ね、2025年7月からAとBのクラスが分かれ登園を再開したことでAの心身は回復したという[16]。9月に港区は調査報告書を公開した[16]。港区は本件を「いじめ」とは認定しなかったが、今後いじめに類する行為への対応体制の整備に取り掛かるという。[18]。
港区による調査報告書
港区の調査報告書で宇佐美と港区双方の主張が公開された[15]。
- Bと他の児童が遊んでいる時にAが仲間に入れてくれと頼んだが仲間外されにされたと宇佐美は主張[18]。それに対し港区は、AがBに「手をつなぎたい」と言ったがBが拒んで他の児童と手をつないだためAが泣き出したことがあったと一部を認めた[18]。
- Bが一方的にAを仲間外れにし、その責任があたかもAにあるかのように発言したと宇佐美は主張[18]。それに対し港区は、そのような発言は確認が取れていないが、Bを遊びに誘ったのにBが応えず「入れてもらえない」とAや他の幼児が訴えることはあったと返答[18]。
- Bが服や髪ゴムなどの所有物について執拗に自慢し「うちは大金持ち」「あなたのものよりも私の方がかわいい」などと発言したことで、Aは自分の家が貧乏で劣っていると思い込まされたと宇佐美は主張[18]。港区は、所有物の自慢などは4歳児(当時)によくある言葉であり、Aだけに限らず色んな子に対しBは「かわいい」ものの自慢をしていたが、人と比較して競い合うような姿は見たことがないと返答[18]。
- AがBの言動に対し抗議すると「私悪くないもーん」とふざけておちょくられ、まともに取り合われなかったと宇佐美は主張[18]。港区は、Aの言うことをBが聞き入れなかったことはしばしばあり、Aも意見を曲げずに折れなかったので、職員は双方の意見を聞いていたと返答[18]。
- Aがいじめを苦にして保育園から幼稚園に転園すると、Bも追うようにして転園していじめを継続したと宇佐美は主張[18]。港区は、幼稚園と保育園の交流会でAと関係無しにBが幼稚園への転園を志望するようになり、その幼稚園で飼育されている動物や園庭の広さをBの保護者が評価したことも転園の理由であり、宇佐美によるいじめ主張を知っていれば避けていたとBの保護者も発言していると返答[18]。
- AとBの幼稚園への転園後、BをAに近づけさせないよう頼んだのにBがAに接触するようになりいじめが再開したと宇佐美は主張[18]。港区は、確かにAとBが接触することはあったがAからBに近づくこともあったと一部を認めた[18]。
- Bにしか出来ない縄跳びの技があったのでAが「教えて」と頼んだが「教えてあげない」とBが断り、しかし他の子には教えていたと宇佐美は主張[18]。港区は、Bがよく縄跳びをしているのは見たがそのやり取りは把握していないと返答[18]。
本事案は、港区におけるいじめに類する事案の中でも、初めて幼児を対象にして行われるものとなった[18]。 保育園での担当保育士は、AとBの関係性について、「4歳児の姿として見られる、普通のやり取りの中で遊んでいる印象」と受け止めていた[18]。しかし、発達の目安はあっても幼児の発達は個々に異なるものであり個別に配慮した支援が考えられたのではないかと港区は問題点を指摘した[18]。
幼稚園は、宇佐美の主張を知りながらも区立幼稚園として区の幼児の入園を拒めないと判断しBの入園を受け入れ、そのことを宇佐美に報告していなかった[18]。当初宇佐美の対応をしていた学級担任が体調不良を理由に病気休職に入るなど、宇佐美の不安を継続させてしまっていた[18]。
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著書
出演
テレビ
ウェブテレビ
- ABEMA Prime(ABEMA)コメンテーター
ラジオ
- ONE MORNING(TOKYO-FM)水曜レギュラー
脚注
外部リンク
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