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宇田荻邨
1896-1980, 日本画家 ウィキペディアから
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宇田 荻邨(うだ てきそん、1896年6月30日 - 1980年1月28日)は、日本画家、日本芸術院会員。三重県松阪市生まれ[1]。本名・善次郎[1]。
略歴
- 1903年(明治36年) - 松坂第一尋常高等小学校に入学
- 1911年(明治44年) - 同校卒
- 1913年(大正2年) - 京都に移り菊池芳文、のち菊池契月に師事
- 1914年(大正3年) - 芳文の勧めで、京都市立絵画専門学校別科(現:京都市立芸術大学)入学
- 1918年(大正7年) - 同校卒。在学中から甲斐庄楠音、岡本神草らと研究会「みつりつ会」に加わり、卒業後も制作を続ける
- 1919年(大正8年) - 第1回帝展で「夜の一力」で初入選
- 1923年(大正12年) - 「花畑」が大阪毎日新聞社賞受賞
- 1925年(大正14年) - 第6回帝展で「山村」が特選
- 1926年(大正15年) - 第7回帝展で「淀の水車」(現大倉集古館蔵)が特選、帝国美術院賞を受賞
- 1925年-1929年 - 京都市立美術工芸学校教諭
- 1928年(昭和3年) - 帝展審査員
- 1929年(昭和4年) - 京都市立絵画専門学校助教授
- 1936年(昭和11年) - 同教授
- 1937年より文展出品
- 1950年(昭和25年) - 日展運営会参事
- 1956年(昭和31年) - 画塾白申社を創設[1]
- 1961年(昭和36年) - 日本芸術院会員
- 1962年(昭和37年) - 日展理事
- 1967年(昭和42年) - 勲三等瑞宝章受章
- 1972年(昭和47年) - 松阪市名誉市民となる[2]
- 1973年(昭和48年) - 日展顧問
代表作
脚注
参考資料
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