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宇都宮景綱

1235-1298, 鎌倉時代中期の鎌倉幕府の御家人。宇都宮泰綱の子。法名は蓮瑜。勅撰集『続古今和歌集』以下に30首入集 ウィキペディアから

宇都宮景綱
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宇都宮 景綱(うつのみや かげつな)は鎌倉時代中期の鎌倉幕府御家人宇都宮氏第7代当主。父は宇都宮泰綱。母は北条朝時の娘。

概要 凡例宇都宮景綱, 時代 ...

生涯

建長4年(1252年)4月、宗尊親王の近習として仕える。正嘉元年(1257年)には御格子番、弘長3年 (1263年)には御鞠奉行に任じられるなど、宗尊親王から重用された。その後も下野守に叙任され、引付衆評定衆に任じられるなどして、幕政の中でも重きを成した。弘安6年(1283年)には御成敗式目に基づき宇都宮家式条(宇都宮家弘安式条)を制定した。

弘安8年(1285年)11月、内管領平頼綱によって安達泰盛が滅ぼされた霜月騒動では、景綱は安達氏の縁戚(泰盛と義兄弟の関係)であったことから失脚するが、永仁元年(1293年)に平禅門の乱で頼綱が滅ぼされると幕政に復帰した。永仁6年(1298年)5月1日、64歳で死去。

人物

  • 歌人としても優れた才能を持っていたといわれている。
  • 安達義景の娘を正室に迎えたが、(実名)の「景」の字はその義景から一字拝領したものと考えられている[1][注釈 1]

脚注

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