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宇都宮貞綱
鎌倉時代中・後期の武将。宇都宮氏8代。興禅寺開基。元寇の弘安の役の総大将。従五位上、三河守、下野守、備前権守。鎌倉幕府 引付衆。子に高貞(公貞・綱世) ウィキペディアから
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宇都宮 貞綱(うつのみや さだつな)は、鎌倉時代中・後期の武将。鎌倉幕府御家人宇都宮氏第8代当主。宇都宮景綱の子[1][2]。母は安達義景の娘[1]。興禅寺を開基したことで知られる。北条氏得宗家(鎌倉幕府第9代執権)の北条貞時の偏諱を受けて[5]貞綱と名乗る。
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略歴
弘安4年(1281年)の元寇の弘安の役では8代執権・北条時宗の命を受けて山陽、山陰の6万もの御家人を率いて総大将として九州に出陣した[1]。その功績により戦後、引付衆の一人に任じられた[1]。
時宗の死後は北条貞時に仕えて嘉元3年(1305年)、嘉元の乱では貞時の命を受けて北条宗方誅殺に協力した[1]。
正和元年(1312年)、亡母の13回忌に全国的にも珍しい巨大鉄製塔婆を奉納した(宇都宮市清巌寺蔵:国の重要文化財)と言われている。
脚注
参考文献
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