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宇須岸
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概要
「ウスケシ」とは、函館の古い呼び名で先住民族のアイヌがコタン(集落)名として「ウショロケシ」「ウシュンケシ」と呼んでいたもので、意味は概ね「湾端」である[1]。「宇須岸」や「臼岸」と漢字が当てられた[1]。
ただし問題が指摘されており、函館市教育委員会1956年の冊子によると、河野政通によって築かれた城「宇須岸館」があった函館港側(元町など)発の地名だとは断定できないという。理由はアイヌの生活遺物が発掘されたことはもちろん、記録や文献が見つかっていない。一方、大森浜側(谷地頭町など)には、幾多の遺跡やチャシの跡のあるからである[1]。
アイヌのチャシ「ハクチャシ」については函館山#構成する峰の「エゾタテ山」の解説を参照。
脚注
参考文献
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