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守田道輔
日本の活動家、政治家 (1894-1982) ウィキペディアから
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守田 道輔(もりた みちすけ、1894年(明治27年)11月7日[1] - 1982年(昭和57年)10月28日[1][2])は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員。

経歴
1919年、上京して堺利彦の門下生となり、さらに友愛会に加入した[1]。1922年に帰郷[1]。全国農民組合山口県連合会の結成に関わり、同主事、同中央委員、同会長を歴任[1][2]。多くの小作争議を指導して投獄されたこともあった[1]。また、労働農民党員、日本大衆党中央委員、同山口県連合会委員長を経て、1931年、日本共産党徳山地方委員会の結成に関わり、その責任者を務め、1933年に検挙され4年間入獄[1][2]。1941年の太平洋戦争開戦に際して予防拘禁となった[1]。
戦後、日本社会党に入党し、同山口県連合会農民部長を務めた[1][2]。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に山口県第二区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[2]。
その他、都濃合同労働組合委員長、日本農民組合山口県連合会長、山口県食糧委員、同農地委員、光市第二区農地委員会長、下松洋服商業協同組合理事長などを務めた[2]。
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脚注
参考文献
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