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安倍房上
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安倍 房上(あべ の ふさうら/ふさかみ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。氏は安部とも記される。治部卿・安倍吉人の子。官位は正五位下・大和守。
経歴
斉衡3年(856年)従五位下に叙爵し、大炊頭に任ぜられるが、まもなく安房守に転じる。
清和朝に入り、散位を経て天安2年11月(859年1月)大判事に任ぜられる。翌天安3年(859年)土佐守・図書頭・治部少輔と短期間に官職を転々とする。貞観4年(862年)尾張守として地方官に転じる。貞観10年(868年)弾正少弼と京官に復帰するが、翌貞観11年(869年)従五位上・丹波権守に叙任され、再び地方官に転じた。
貞観18年(876年)笠弘興と共に大極殿放火の疑いをかけられ拘禁されるも[1]。結局罪に問われなかったらしく、元慶2年(878年)河内守に復して、元慶6年(882年)正五位下・大和守に至った。
官歴
- 時期不詳:正六位上
- 斉衡3年(856年) 正月7日:従五位下[2]。3月11日:大炊頭[3]。5月25日:安房守[4]
- 天安2年11月25日(859年1月2日):大判事[5]
- 天安3年(859年) 正月13日:土佐守[6]。2月13日:図書頭[7]。4月9日:治部少輔[8]
- 貞観2年(860年) 閏10月25日:装束司次官[9]
- 貞観4年(862年) 正月13日:尾張守[10]
- 貞観10年(868年) 2月17日:弾正少弼[11]
- 貞観11年(869年) 正月7日:従五位上[12]。正月13日:丹波権守[13]
- 元慶2年(878年) 正月11日:河内守[14]
- 時期不詳:大和守[15]
- 元慶6年(882年) 正月7日:正五位下[15]
系譜
脚注
参考文献
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