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安芸守定

南北朝時代の医師 ウィキペディアから

安芸守定
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安芸 守定(あき もりさだ、生没年不詳)は、南北朝時代医師[1]

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藤浪剛一『医家先哲肖像集』より安芸守定

経歴・人物

日本における婦人科医の祖とされる人物[1][2]

安芸平氏の出[2]延文3年=正平13年(1358年室町幕府第2代将軍足利義詮の側室、紀良子の出産(のちの第3代将軍の義満)にあたる[1][2]。その功により尚薬となり、嘉慶年間には従四位上に叙し大膳職に任ぜられた[1][2]。安芸家の子孫は代々足利家の産事を掌り、その記録として『御産所日記』がある[1][2]。守定の薬としては産前産後薬「神仙散」が知られる[2]

脚注

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