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宝井琴柳
日本の講談師、四代目宝井琴柳 ウィキペディアから
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宝井 琴柳(たからい きんりゅう)は、講談師の名跡。
初代
天保6年(1835年)頃に生まれる[1]。初代宝井琴凌に入門[1]。「河童琴柳」と呼ばれた[1]。1885年、死去[1]。
二代目(二代目西尾麟慶)
生年不詳[2]。四代目宝井馬琴の弟[2]。1898年、二代目西尾麟慶を襲名したと推定される[2]。1899年頃から、本名の岡田千代太を名乗る[2]。1900年3月29日に死去[2]。
三代目
本名は馬場 岩一[3]。1896年12月15日、愛知県葉栗郡生まれ[3]。小学校卒業後、仏具商に奉公する[3]。1920年、上京して四代目宝井馬琴に入門し、琴松と名乗る[3]。のちに三代目琴柳を名乗った[3]。1930年、初代神田山陽の門下となり、琴陽と名乗る[3]。1934年、光陽と改名する[3]。1948年に講談師を廃業するが[3]、1966年に馬場光陽を名乗って復帰する[3]。1976年7月31日、死去[3]。
なお、富岡金太郎という三代目琴柳にあたる人物がいたとする説もある[4]。この人物を三代目とすると、四代目琴柳(宮内 政美)は五代目となる[4]。
四代目
四代目 宝井 琴柳(たからい きんりゅう、1951年2月4日 - )は日本の講談師。出囃子は「片しゃぎり」、紋は「丸に角立井筒」[5]。本名∶宮内 政美[5]。講談協会[6]と落語協会に所属し[5]、講談協会理事を務める[6]。
経歴
1971年に六代目小金井芦州に入門、千葉県(総州)出身のため、小金井総州と命名された[6]。
1975年の二ツ目昇進に合わせて四代目小金井桜州と改名。翌1976年に四代目宝井琴鶴の門下へと移り、宝井鶴州と名を改めた[6]。
受賞歴
出演
テレビ
ラジオ
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脚注
外部リンク
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