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宮坂作衛
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宮坂 作衛(作衞、みやさか さくえ、1887年(明治20年)7月[1][2] - 1933年(昭和8年)10月21日[1])は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、長野県諏訪郡上諏訪町長。
経歴
長野県諏訪郡上諏訪村角間(上諏訪町を経て現諏訪市)の白作呉服店・宮坂作之助の長男として生まれる[2][3]。1906年(明治39年)諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を卒業[2][3]。上京して、1911年(明治44年)慶應義塾大学部理財科を卒業した[1][2][3]。
帰郷して家業の白作呉服店の経営に加わる[2][3]。1920年(大正9年)家督を相続[2]。呉服店を成長させ、諏訪電気取締役、長野農工銀行取締役、上諏訪商工会議所会頭などを務めた[1][2][3]。
政界では、1921年(大正10年)上諏訪町会議員に選出され、1923年(大正12年)長野県会議員となる[1][2][3]。1930年(昭和5年)上諏訪町長に就任し、また長野県会副議長となった[1][3]。その他、諏訪郡町村長会長、上諏訪町農会長、所得税調査委員、商事調停委員、小作争議調停委員なども務めた[1][2][3]。
1932年(昭和7年)9月29日、貴族院多額納税者議員に就任し[4]、研究会に所属して活動したが[1]、1933年10月、在任中に死去した[1][3][5]。
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親族
- 姉 ・熊谷まつ(熊谷岱蔵の妻)[2]
- 義兄・熊谷岱蔵 ( 弟 直樹 の妻は貴族院多額納税者議員 今井五介娘))
脚注
参考文献
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