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富樫泰俊

戦国時代から安土桃山時代の武将。富樫氏27代。加賀野々市城主。富樫稙泰の長男。加賀介(富樫介)。子に天易侍者。 ウィキペディアから

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富樫 泰俊(とがし やすとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将富樫氏27代当主[1]加賀国野々市城主。

概要 凡例富樫 泰俊, 時代 ...

略歴

富樫稙泰の長男として誕生。享禄4年(1531年)の大小一揆に小一揆方として参戦したが、捕らえられた。後に逃亡して、弟・晴貞の死後、家督を継いだという。一度加賀へ戻り野々市城主となるが、本願寺方に攻められ、越前国金津城主・溝江長逸のもとに身を寄せた。

しかし天正2年(1574年)、越前一向一揆により金津城は落城、泰俊は子の稙春天易侍者共々自害し、富樫氏は滅亡した。

なお、三男・家俊は辛くも難を逃れて名を後藤弥右衛門と改め、佐久間盛政に仕えて300石の所領を得た。

脚注

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