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対御方

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対御方(たいのおんかた)は、日本の中古から中世における女性の女房名

  1. 摂政藤原兼家。ただし、兼家の正妻である藤原時姫の没後は正妻格とされていた可能性がある。父は藤原国章藤原綏子を産む。『蜻蛉日記』に登場する女性・近江に比定されている[1]。のち兼家の長男・道隆の妾となり、一女を産む。
  2. 後鳥羽天皇宮人。大宮局とも。父は権大納言藤原定能尊円法親王行超の母。宜秋門院女房。
  3. 後伏見天皇宮人権大納言正親町実明の五女。慈真法親王尊道入道親王覚公女王の母。従三位に叙される。応安5年(1372年)2月23日没[2]。後伏見院対御方。
  4. 室町幕府第3代将軍・足利義満側室。父は四条隆郷(北畠隆郷)。応永28年(1421年)3月に足利義持正室日野栄子や義満の側室であった高橋殿らと共に熊野詣に出発している。一説に源春子と同一人物とされるが、明らかではない[3]。生没年不詳。

出典

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