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小ロシア県
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小ロシア県(しょうロシアけん、ロシア語: Малороссийская губерния)、またはマロロシヤ県(マロロシヤけん)は帝政ロシアの県(グベールニヤ)である。1764年 - 1781年の間に設置されていたものと、1796年 - 1802年に設置されていたものがある。
歴史
小ロシア県は1794年に、ヘーチマン国家の連隊(ポルク。軍事単位であり行政単位)を解体し、帝政ロシアの県として組み込む形で形成された。すなわち、スタロドゥーブ連隊(ru)、キイウ連隊、ペレヤースラウ連隊、フルーヒウ連隊、ニジィン連隊(ru)、チェルニーヒウ連隊(ru)、プルィルクィ連隊(ru)、ルブヌィ連隊(ru)、ミルホロド連隊(ru)、ハヂャチ連隊(ru)の10の連隊区が小ロシア県に再統合された[1]。県庁は、県設立年の1765年から1773年まではグルホフに、その後1775年までコゼレツに置かれた後、キエフへ移った[2]。
1781年秋、エカテリーナ2世の行政改革(ru)に伴い、ノヴゴロド・セヴェルスキー(ru)、チェルニゴフ(ru)、キエフ(ru)の3つのナメストニチェストヴォに分割され、一時小ロシア県は消滅した。
1796年にナメストニチェストヴォ制が廃止されたことで、上記3つのナメストニチェストヴォを併せて再び小ロシア県が編成され、チェルニゴフに県庁が置かれた[3][4]。また、県の下位区分である郡(ウエズド)は20に区分された。
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出典
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