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小倉公雄

鎌倉時代中期から後期の公卿。洞院実雄の次男。正二位・権中納言。小倉家の始祖・初代。出家 ウィキペディアから

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小倉 公雄(おぐら きんお)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿小倉と号する。左大臣洞院実雄の二男。官位正二位権中納言小倉家の始祖とみなされている。

概要 凡例小倉公雄, 時代 ...

経歴

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

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突然の出家

増鏡[4]によれば、後嵯峨院に目をかけられていた公雄は、後嵯峨院の崩御を悲しんで文永9年(1272年)に出家してしまった。父・実雄にとっては長男公宗が弘長3年(1263年)に早世したことに続いて二男の公雄が出家してしまったために、大変悲しんだと記されている。

生没年について

公雄は生没年が不詳であるが兄弟姉妹の生年を見ると、兄公宗は仁治2年(1241年)生まれ、佶子は寛元3年(1245年)生まれ、愔子は寛元4年(1246年)生まれ、弟の公守は建長元年(1249年)生まれである。公宗、佶子と同母兄弟である公守が5歳で叙爵されていることから、公雄も4〜6歳で叙爵されたと仮定すると公雄の生年は1242〜44年頃なのではないだろうか。出家したのが文永9年(1272年)であるから、昇進速度はかなり早い方である。 没年については正中百首に詠進しているらしく、正中2年(1325年)までの存在が確認できるという[5]

系譜

脚注

参考文献

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