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小寺甲子二

日本の教育者、博物学者 ウィキペディアから

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小寺 甲子二(こでら きねじ、生年不詳 - 没年不詳)は、日本教育者博物学者。

経歴

士族として兵庫県に生まれる。1885年7月札幌農学校北海道大学の前身)(第5期)を卒業した[1]

1986年札幌農学校の助教授となり[2]、博物学、生理学、物理学、英語、文法を担当した[3]札幌農学校附属博物館(現・北海道大学総合博物館)の責任者である、博物館主管[4]、博物場主任[5]、博物館掛長[6]を歴任した。1887年には、博物館主管として、利尻島および礼文島に調査に赴いている[2]。同僚の助教授(後に教授)には新渡戸稲造がいた[7]札幌独立キリスト教会会員であったキリスト教徒であり、新島襄とも交流している[8]

1901年8月福岡県立中学修猷館館長に就任[9]。1905年9月福岡県立東筑中学校校長[10]、1905年11月長野県立長野中学校校長[11]を歴任。1909年4月長野中学を休職し[12]、同月設立された、京城居留民団立京城中学校の教諭となり、教頭を務めた[13]

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脚注

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