トップQs
タイムライン
チャット
視点
小幡信高
ウィキペディアから
Remove ads
小幡 信高(おばた のぶたか)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。
生涯
上野国峯城主・小幡憲重の次男。憲重は武田氏に従う国衆であり、信高も兄・信真と共に武田氏配下となった。永禄10年(1567年)8月7日付の『下之郷起請文』の連署起請文において「小幡親類中」の筆頭として「弾正左衛門尉信高」の名がみえるのが史料上の初見である[2]。諱のうち「信」は武田氏の偏諱と考えられる[3]。
同12年(1569年)12月6日の駿河蒲原城攻略戦にて戦死したという[2]。翌13年(1570年)3月17日付で武田信玄より信高の次男で嫡子とされた弁丸(後の信定)に父の戦死の戦功が評され、知行・被官の相続を認められている[4]。
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads