トップQs
タイムライン
チャット
視点
小玉貞良
ウィキペディアから
Remove ads
小玉 貞良(こだま ていりょう、生年不詳 - 1759年(宝暦9年)以降[1])は、江戸時代中期の松前藩で活躍した絵師。蠣崎波響に先行して主にアイヌ絵を描いてその草分けとも評され、北海道の絵画史において最初期に位置する人物である。

略伝
落款に「松前産」「松前住」とあることから、松前藩出身で同地在住だったと推測される。玉圓齋、龍(圓)齋とも号した[2]。作品以外に伝記は全く分からないが、松の木の定型化した描き方と、狩野派が好んで使用した壺形印を使っていることから、狩野派の流れをくむ絵師だとみられる。しかし、17世紀末から18世紀初めの松前に貞良の師となるような絵師はおらず、「蝦夷国漁場風俗図巻」にみられる近江商人との繋がりから、関西で絵を学んだと考えられる[3]。
描かれたアイヌの着衣や耳輪などの時代推定から、現存するアイヌ絵の中で最も先行すると考えられ、貞良のアイヌ絵を規範として描かれた作品も多く残っている。新作品の発見で、貞良を遡る絵師が発見される可能性はあるものの、貞良がアイヌ絵の様式の一つを確立した絵師だと評価できる。なお、貞良の子あるいは弟子とみられる小玉貞晨という絵師もいる。
作品

Remove ads
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads