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小玉貞良

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小玉貞良
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小玉 貞良(こだま ていりょう、生年不詳 - 1759年宝暦9年)以降[1])は、江戸時代中期の松前藩で活躍した絵師蠣崎波響に先行して主にアイヌ絵を描いてその草分けとも評され、北海道絵画史において最初期に位置する人物である。

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小玉貞良『古代蝦夷風俗之図』

略伝

落款に「松前産」「松前住」とあることから、松前藩出身で同地在住だったと推測される。玉圓齋、龍(圓)齋とも号した[2]。作品以外に伝記は全く分からないが、松の木の定型化した描き方と、狩野派が好んで使用した壺形印を使っていることから、狩野派の流れをくむ絵師だとみられる。しかし、17世紀末から18世紀初めの松前に貞良の師となるような絵師はおらず、「蝦夷国漁場風俗図巻」にみられる近江商人との繋がりから、関西で絵を学んだと考えられる[3]

描かれたアイヌの着衣や耳輪などの時代推定から、現存するアイヌ絵の中で最も先行すると考えられ、貞良のアイヌ絵を規範として描かれた作品も多く残っている。新作品の発見で、貞良を遡る絵師が発見される可能性はあるものの、貞良がアイヌ絵の様式の一つを確立した絵師だと評価できる。なお、貞良の子あるいは弟子とみられる小玉貞晨という絵師もいる。

作品

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ウイマム(松前藩主への謁見行事)を描いた『ウイマム図』
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脚注

参考文献

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