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小野門之助
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小野 門之助(おの もんのすけ、1896年(明治29年)3月23日 - 1944年(昭和19年)12月15日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。陸軍航空界における空中写真判読の権威として知られている。
経歴
1917年(大正6年)5月25日に陸軍士官学校(29期)を卒業し、同年12月25日に砲兵少尉に任官、野砲兵第3連隊付となる[1]。1921年(大正10年)4月1日に砲兵中尉に昇進し[2]、1924年(大正13年)8月20日に下志津陸軍飛行学校教官に補され[3]、1925年(大正14年)5月に航空兵中尉に転じる。1926年(大正15年)2月26日、日本写真学会の前身である東京寫眞學會の創立総会に参集[4]。
1926年(大正15年)8月6日に航空兵大尉に昇進[5]後、陸地測量部部付兼勤[6]などを経て、1934年(昭和9年)8月1日に航空兵少佐に昇進、下志津陸軍飛行学校研究部部員兼任となる[7]。1938年(昭和13年)7月15日に航空兵中佐に昇進[8]。
その後、飛行第75戦隊戦隊長、第2飛行師団第6飛行団司令部団長などを歴任したが、1944年(昭和19年)12月15日に航空事故のため奄美大島にて死去し、没後陸軍少将に進級し従四位に叙せられた[9]。
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栄典
脚注
関連項目
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