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山内首藤時通
南北朝時代の武将。子に懸田宗直 ウィキペディアから
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山内首藤 時通(やまのうちすどう ときみち)は、南北朝時代の武将。山内首藤経俊の曽孫。
生涯
南北朝の争乱において、一貫して北朝方として活躍した。斯波家長に従い、建武3年/延元元年(1336年)鎌倉の北条氏残党の蜂起を鎮圧し、翌年家長から賞された。暦応3年/延元3年(1338年)、幕府は広沢小法師丸の押領のため、備後国地毘荘(地毗荘)下原邑の地頭職を時通に代行させた。翌年、高師冬に従い下総国駒館を攻めた軍功により、貞和元年/興国6年(1341年)備後国に所領を安堵され、孫の山内首藤通資の代に下向した。そのほか次男の通綱に信濃国筑摩郡下平田郷の地頭職を、また養子の通忠に相模国早川荘や吉野などの地頭職を譲与した。
脚注
出典
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