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山口飛騨守
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山口 飛騨守(やまぐち ひだのかみ)は、戦国時代の武将。織田氏、徳川氏の家臣。実名は不明。
略歴
織田信長に小姓として仕え、永禄年間の初めには赤母衣衆に入っている[1]。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは、信長が夜明けに行軍を開始した当初、岩室重休・長谷川橋介・佐脇良之・加藤弥三郎と共に僅か5人で従った[2]。永禄12年(1569年)の大河内城の戦いでは、佐脇らと共に尺限廻番衆となる[3]。
その後信長より不興を買い、長谷川・佐脇・加藤と織田家を出奔。共に徳川家康の許に身を寄せた。その際の待遇は不明であるが、元亀3年12月22日(1573年1月25日)の三方ヶ原の戦いに参戦し、長谷川・佐脇・加藤と共に討死した[4]。
なお、『甫庵信長記』では、信長が弟・信行(信勝)を謀殺した際、初めに斬りつけた3人のうちの1人となっているが、『信長公記』にはその記載はなく定かではない[5]。これを誤りと推測する見解もある[6]。
脚注
登場作品
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