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山浦記義

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山浦 記義(やまうら きよし、1961年9月20日 - )は、大阪府出身[1]プロゴルファー

概要 山浦 記義Kiyoshi YAMAURA, 基本情報 ...

息子の山浦一希もプロゴルファー[2]

来歴

中学時代にテニスで大阪府チャンピオンとなった経歴を持ち、中学3年生の時に友人に誘われたのをきっかけにゴルフを始めた[3]。練習場で毎日ボールを打ち、1週間後にコースデビューを果たし、50、42の92というスコアでラウンドして以来、92より悪いスコアが出たことがないと後に山浦は語っている[3]

1978年春に当時、年2回行われていたプロテストに合格し、ゴルフ歴僅か1年3ヶ月での快挙、16歳11ヶ月の史上最年少プロゴルファーとなる[3]。「絶対に最年少プロになろう」と誓って和歌山県内のゴルフ場でキャディをしながら練習し、中村通の17歳を抜き、念願を叶えた[1]。同年の秋の部では、中尾豊健飯合肇泉川ピートが合格している[4]。その後は石川遼が16歳3ヶ月という最年少でのプロ入り記録を更新したものの、30年以上の間、最年少プロの記録を保持し続けた[3]

1980年の表蔵王国際東北オープンでは初日を浅井教司小山洋明田中文雄吉武恵治と並んでの4位タイ[5]でスタートし、1985年かながわオープンでは最終日に井上幸一と共に69をマークして安田春雄新関善美と並んでの6位タイ[6]に入った。

プロ入り後はトーナメントで思うような結果を残せず[3]、焦りからなのかスウィングを崩すことになってツアーからの撤退を決意し[3]1990年関西オープン[7]を最後にレギュラーツアーから引退。

30歳でレッスンへの道を歩み始め、現在はスクールでジュニアを中心に指導を行っている[3]。 

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脚注

外部リンク

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