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山田揆一
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山田 揆一(やまだ きいち、嘉永元年12月27日(1849年1月21日)[1] - 大正12年(1923年)1月5日)は、大正時代に仙台市長を務めた人物である。
略歴
陸奥国一関(現在の岩手県)に、藩士・櫻岡頼純の4子として生まれた[2]。官吏となり、宮城県収税長[3]、熊本県税務管理局長・司税官[4]、宮城県書記官、北海道内務部長などを歴任の後、1915年(大正4年)から1919年(大正8年)まで、仙台市長を務めた。
仙台市青葉区にある宮城県知事公館の土地・建物は、もともと伊達家家臣の邸宅だったものであるが、明治維新後の1868年(明治元年)、山田が購入した[5][6]。また、山田は1917年(大正6年)、仙台に関する総覧『仙台叢書』の別冊、『仙台物産沿革』を編集した。
栄典
- 位階
- 勲章
脚注
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