トップQs
タイムライン
チャット
視点
山路秀男
ウィキペディアから
Remove ads
山路 秀男(やまじ ひでお、1892年(明治25年)1月22日[1] - 1981年(昭和56年)8月30日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
愛媛県[1][3]松山市[2][4]出身。山路一遊の息子として生れる。1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業[1][5]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官した[5]。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業[1][3][6]。
1929年(昭和4年)3月、歩兵少佐に進級[7]。1933年(昭和8年)12月、歩兵中佐に昇進し、1936年(昭和11年)8月、陸軍歩兵学校教官兼同校研究部部員に就任した[7]。1937年(昭和12年)8月、歩兵大佐に進み、同年9月、戦車第3連隊長となる[3]。1939年(昭和14年)1月、陸軍兵器本廠付(陸軍経理学校教官)に転じた[3]。
1940年(昭和15年)8月、陸軍少将に進級し第2戦車団長に発令され満州に赴任[1][3]。1942年(昭和17年)6月、教導戦車団長に転じた[1][3]。1943年(昭和18年)3月、東部軍兵務部長に発令されて帰国[1][3]。1944年(昭和19年)1月、陸軍中将に進み、戦車第3師団長に親補され日中戦争に出征した[1][3]。北京で終戦を迎えた[1][2]。その後、邦人の引揚に尽力した[2]。
Remove ads
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads