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岩城常隆 (下総守)

室町時代から戦国時代にかけての武将、岩城氏11代当主 ウィキペディアから

岩城常隆 (下総守)
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岩城 常隆(いわき つねたか)は、室町時代から戦国時代にかけての武将岩城氏11代当主。陸奥国大館城主。

概要 凡例岩城常隆, 時代 ...
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略歴

岩城親隆の嫡男[6]として誕生。永享12年(1440年)、父・親隆と共に結城合戦での軍忠を室町幕府6代将軍足利義教から賞されている[4]寛正4年(1463年)、那須資房宇都宮義員らと交戦し勝利するも、縄釣原の戦いでは資房に大敗を喫した[9][4]

家督を継いだ当初は隠居した父・親隆と共同統治する[10]文明17年(1485年)、佐竹氏領の砥上某の車城大塚成貞龍子山城を攻め落としている[11]

文亀2年(1502年)、佐竹義舜に助力し山入氏義討伐に協力した[12][4]。また、白河結城氏の内訌や古河公方家の内紛(永正の乱)に乗じ、これに介入し勢力を広げ、岩城氏の全盛期を築き上げた。

子・盛隆に家督を譲ったがまもなく当主は盛隆の弟・由隆に代わり、常隆は父・親隆と同様、隠居として由隆と岩城氏を共同統治した。永正11年(1514年)に那須氏(上那須氏)で内紛が勃発し、那須資永結城顕頼の弟)が自刃に追い込まれ、那須政資(下那須氏当主那須資房の子)が上那須氏の当主になると、結城顕頼の求めに応じ那須氏を攻めたものの戦果は挙げられず、縁戚関係を結んで那須氏と和睦したとされる。

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脚注

出典

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