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峰田明彦
日本の作詞家 ウィキペディアから
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峰田 明彦(みねだ あきひこ、1909年(明治42年)10月9日 - )は、作詞家、作曲家。本名は中村芳朗で、峰田明彦の他に、松平道雄、中村芳水、古屋芳雄の筆名も使った[1]。北海道作詞作曲家協会理事長、旭川シンフォニックオーケストラ理事長、北海道民謡協会役員、北海道邦楽協会常任理事[2]。札幌市在住[2]。
生涯
1909年10月9日、東京に生まれる[2]。本名は中村芳朗。
早稲田大学を1934年に中退し、日本音楽著作権協会に務め、北海道総局長の任にあたる[2]。
野口雨情に作詞を学び[3]、民謡や童謡の作詞、作曲を行う[2]。峰田の詩に弘田龍太郎、新野仁助らが作曲した作品も多い[4]。
1949年、旭川歌謡協会を結成し、会長を務めて地元の歌謡振興に尽力した[4]。1952年、旭川フィルハーモニー協会理事長となり、また日本音楽著作権協会北海道出張所長としても活躍した[4]。同年旭川市民文化賞を受賞した[2]。1956年、旭川市に設置された「母の鐘」に因んだ詩の公募があり、峰田の作品が入賞している[4]。1966年、「日本測量の歌」作詞により、日本測量協会より感謝状を贈呈される[5]。
「船頭さん」の歌詞補作
武内俊子作詞、河村光陽作曲の童謡「船頭さん」は、1942年にキングレコードから発売された[6]。当初の歌詞2番は「今朝も元気な軍馬を二匹 あれは戦地へ行くお馬」となっていたが、1946年に再発売される際に「今朝もかわいい仔馬を二匹 向う牧場へ乗せてった」という峰田明彦の歌詞に差し替えられ、3番は全面的に書き換えられた[7]。
楽曲作品
脚注
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