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巨勢利和
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巨勢 利和(こせ としまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本・国学者・歌人。丹波亀山藩2代藩主・松平信直の四男。諱は「としより」とも読む。
略歴
明和4年(1767年)、誕生。巨勢至親の養子となり、天明6年(1786年)に至親が没したため家督を継承した。
寛政元年(1789年)に使番となり、寛政4年(1792年)より火事場見廻役を兼ねる。寛政7年(1795年)に小普請組となり、寛政8年(1796年)に小姓組の番頭に転任、従五位下日向守に叙任。寛政10年(1798年)に西ノ丸書院番の番頭となり[4]、大番頭を経て、文化6年(1809年)西ノ丸側衆となった[5]。加藤千蔭や清水浜臣の元で学んで歌道を習熟し、千蔭の著作の序文を認めるなどしている。浜臣の覚えは良かったらしく、彼の死後、蔵書の管理を委任された。また『うつほ物語』の考究を推進し、『新治抄』10巻を認めるなどの業績を残している。
脚注
関連文献
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